龍村晋と龍匠錦

龍村晋とは

古代裂(きれ)の復元などで日本の工芸染織界に業績を残し、芸術恩賜賞を受賞した龍村平蔵の三男として龍村晋は1908年(明治41年)に大阪で生まれました。東京帝国大学 経済学部を卒業し、父 平蔵のもとで古代裂 正倉院裂の研究・復元に没頭しました。

以来、古代のロマンに魅せられ、日本はもとよりシルクロード、西欧と広く題材を求めてその文様を錦に表現し、比類ない「伝匠名錦」を生み出しました。生涯を帯の創作一筋に打ち込み、その柄数は500柄に及んでいます。

※龍村平蔵には、謙・晋・徳・元という4人の息子がいましたが、このうち謙が二代目平蔵、元が三代目平蔵となりました。

龍村氏と群馬県桐生市との出会い

昭和45年に群馬県が行った「桐生帯地織物工場巡回技術指導」で龍村氏は桐生市へとやって来ました。

そこで龍村氏は当時の江雅織物の社長と知り合い、江雅織物で龍村の帯を織ることとなりました。

江雅織物は従業員の高齢化などにより廃業いたしましたが、「龍匠錦」が織機やその技術を引き継ぎ、龍村の帯を作り続けています。